March 18, 2004

KNN Night ソーシャル・ネットワーク・ビジネス・セミナー

英語で感性的にエントリーしましたが、日本語でローカルの友人向けにもう一度。でも人の社会的行動ばかり気になる私は、あまりソーシャルネットワークの全体論について書けないので、それを考慮して読んで頂きたい。

セミナー主催者であり、ファシリテーターである神田さんの赤いベルサーチの裏地とリープHDの張地が同じヒョウ柄だったのが、個人的に楽しかった。スチールケース・ワーキング・ショールームに集まった方々は、この間Blogセミナーに集まった方々と雰囲気が全然違ったので、これまた面白かった。松永真理氏の「Iモード事件」にあった場面を思い出した。松永氏主催の集まりで、ギョーカイ友人達が、松永氏のビジネス同僚について「あの人っていかにもMBAって感じよねぇ」とコメントした。昨夜KNN Nightに集まった方々は、典型的な日本人のビジネス・パーソンという形ではなかったけれど、若手からベテランまで何となくMBAっぽい雰囲気を持っている人たちが多かった。まあ、「・・・ビジネスになるか?」という新規開拓金儲けの可能性の話を聞く集いなのだから、それは当たり前なのだけれど、会場が黒を着ている人たちで埋まって来た時、思わず「わぁー、黒い!」と声に出してしまった。でもそのスマートな黒をまとっているMBAヤローの方々が、日本でタタミでない床に座ってセミナーを受ける姿はかっこよかった。

大雑把すぎるかもしれないけれど、Blogセミナーに集まったタイプの人たちが新しい何かを作っていき、ビジネス・セミナーに集まったタイプの人たちが大きな枠を用意し、システムにしていく。システムにするに当たり、やはりどこかで大本である道徳的な部分に当たる。このシステムは何に貢献するのか?国として、人としての社会的効果は何なのか?宗教があるエリアではそれが礎石となる。日本は何が礎石なのだろうか?

もう一つ今回のセミナーに参加して気がついたのは、こんなに沢山の人たちが回りにいる東京のど真ん中で働いているのに、偶然の出会いは13年前に3回あっただけだ。でもあれはアメリカから戻ってきて一年以内だった。その後、自分から話しかけた事はないと思う。そして話しかけられても極力最低限の解答をしてきた。飛行機の長旅では沢山の出会いを今でも続けている。ウェブ上のソーシャルネットワークで、ただでさえ一日長時間お尻に負担をかけているのに更に長く座ったまま、脳の刺激だけで終わってしまう事が圧倒的に多い時間を費やしたくないと思っていた。でもそうだったら、もっと周りの人に話しかけてみようかなという気になった。ウェブ上のネットワークであれば、繋がりを切る事が簡単だ。フェイス・ツー・フェイスの場合そうはいかない。でも充実感は全然違う。私にとってはどちらが良いか。怖くはないからフェイス・ツー・フェイスでやってみよう。

全くワークプレイス・ファシリテーターが考えることって・・・。こんなこと意外思いつかないのだろうか?あれだけ面白いセミナーだったのに。我ながら自分に呆れている。

SANY0021.jpg SANY0060.jpg SANY0090.jpg SANY0114.jpg

March 04, 2004

こんな時代だから・・・

SANY0175.jpg

今大変な時代ですよね、と私はよく言っていると思う。それについて思った。過去に大変じゃない時代ってあったのだろうか?いつも誰かが、何かが大変なのではないだろうか?変なのではないだろうか?こう思い始めると、世のため、人のためと気負っている自分を見て、なんだ、自分が好きでやっているのに、人のためにやっているという理屈は押し付けてるよなぁ、と思った。

時差ぼけでハイになっているところ、Point Reyesで2時間一人で黙々と山道を散歩し、その後大苦手のヘアピンカーブ連続のドライブコースをギュンギュン長い時間走っていたからこんなことを思ったのか。

December 01, 2003

コンサルティング会社の現状

先生に誘発され、コンサルティング会社のサイトを訪問した。そして自分の勉強不足に愕然とした。マッキンゼ−のサイトでも、アクセンチュアのサイトでも、私のやっているプロジェクトで使えるような情報を多々得ることができた。具体的に勉強になった部分をご紹介したい所だが、両社とも、はっきりと引用不可と謳っているので、内容の具体的なご紹介も控え、リンクは張らないでおく。さすが、ナレッジを売っている会社だ。

メルマガなどで知識を紹介する会社は、物を売っている会社で、商品と知識でセット始め地価値があるのかも知れない。自分たちの知識に価値がないといっているようなものかもしれない。

May 05, 2003

ワーク・ライフのバランス (2)

今朝のエントリーの続き:一番言いたかった事は、私は今まで色々な経験をしてきたけど、全て時が経つとともにその時の気持ち、思いを忘れ去っている。子供を亡くした時の思いも、Melody Beattieの本を読んで共感した事も、毎日の生活の中で磨り減っていく。

経験だけでは人はだめだと思うようになりました。大切なのは、経験を生かして今何をしているかなのだと思います。白洲正子の書いた文章で、「あれだけの経験をされた方なのに、修行は何の役にもたっていなかったようだ・・・」というのを思い出した。今の日本の大企業では、それが問題なのではないでしょうか?色々な貴重な経験をされた方たちが、その時の思いを忘れてしまって、残っているのは過去の栄光だけ。もしも昔の自分が今の自分を見たらどんなふうに思うか・・・。去年の映画で、そんなシーンがあった。ちょっと名前を思い出せないけど、Uma Thurmanが共演したコメディー。

フルに生きるためには、常に緊張感のある状況になければ、人間って育たないんだ。だめなんだ。それは仕事でも、Love(恋愛、愛の両方)でも同じ。子育ても。

だから好きな本を何回でも読み返して、思い出そうと思いました。そして、今日も新い発見をしよう。自分の書いた何年も昔のジャーナルを読み返そうと。そうすれば、本当に誰かの役に立てるようになるかもしれない。自分の成長だけのためではなくて、出会う人達(家族、同僚、友人、ビジネスでの知人)の成長の役にたてるかもしれない。

ワーク・ライフのバランス

久しぶりに Melody Beattie の Finding Your Way Home: A Soul Survival Kit を開いてみました。よくやりません?本棚の本をぼぉっと見ていると、チラッと気になるタイトルがあって、その本をランダムに開いて、そのページから読むこと。Melody Beattieの本を開くのは、多分1年以上ぶりだと思う。彼女の本に出会ったのは3年前で、シカゴの出張先で The Lessons of Love を買って、帰りの飛行機で一挙に読みました。愛する子供を亡くした母親がその苦しみを通じて生きる意味を見出すお話。Yukiさんが教えてくれた、「山を登り谷を降る」というやつ。私の過去の体験と重なり、飛行機の中で泣きながら読みました。彼女の本に Paulo Coelho の本の話が出ていたので、読んでみたんですが、その後は彼の本しょっちゅう読み返したのに、Beattieの本は読み返さなくなっていた。

よく考えてみると、Coelho は自分探しの旅をするけれど、Beatty は子供への愛が根底にあって、その愛が自分探しの旅に繋がっていた。

The Lessons of Loveから:

"The next morning, my despair began anew, the turmoil picking up where it left off. I was frozen in my bed, flattened by my anguish.
Then the answer came gently, softly, and as certain as the morning sun, filling me with light.
Every experience I have had in my life has been about the same thing.
Each lesson has ultimately and absolutely been about one thing, the only thing that is.
Love.
...Even These, my blackest and darkest moments, had been a from of love, one of its lessons. A harder one, but still a lesson of love.
I laughed out loud, alone in my room. What did I think love would look like? Feel like? Be? A romantic vision of being carried off to Camelot?
...
And Finally, facing and accepting death.
Had I thought all those lessons would be learned easily?
I guess I had.
I saw now that even the struggles, the hard times when I cursed and moaned and whined, had not been punishment. God hadn't been peering down from the heavens saying, Good, let her crawl over broken glass for a bit. That will teach her.
God was saying, Look, she's learning to love."

Finding Your Way Homeから:

 "We creat and draw to us what we think and believe.
I can't is a tiny little bubble that pops out of our mind, floats in the air, and bursts when we fail at whatever we're trying to do. It's done its job. It's created the failure.
...
"Because our Thoughts can affect this eternal energy, they are the source of creation," she adds, "All creation begins in the mind. It must be thought first."
...
We say we want the universe to unfold at our feet. We don't have to make that happen. It already is. We just have to let it happen, listen to it, and acknowledge our part in what we've created."

(う〜ん・・・。こんなに英語だらけになるんだったら、英語で書いたほうが良かったかな・・・。でも日本語で思いを伝える事がとても大事だからなぁ。(仕事も家庭もほとんど全部日本語だし!))

 仕事の中で、常にこれで良いのだろうか?と自問する。こんなもんで良いのだろうか?もっと、もっとできる事があるはず。この頃まともな時間に家に帰ってくる。そして自宅にいる時は仕事よりもblogで遊んでいる時間の方が長い。去年と比べると圧倒的に仕事をしている時間が少ない。焦る。でも、子供達との時間も多くなった。

 もうずいぶん前に、スティーブが言った言葉だけど、時々思い出す。
 「死ぬ間際には、誰一人、しまった!もっと会社で長く時間を過ごせば良かったのに!なんてことは言わないんだよ。」

 もしかしたら、ここ数年(7年間ぐらい!)仕事に時間をかけすぎていたのかもしれない。仕事は凄く好き!楽しい!やりたい事が沢山ある。でも、働く場を創ることを勉強しているうちに、最終的には自分から始めるという所にたどり着いている。楽しい、面白い、やりがいがあるという部分はもう前からカバーできていると思う。今、仕事・仕事以外の生活のバランスを取るという時期に入っているのでしょうか。だからMelody Beattieなのかな・・・。

March 23, 2003

最後のマクドナルドでの朝食

今朝子供達を外に連れ出すためにマクドナルドに朝食に行くことにしました。
朝自転車で川原を走り、マックでちょっと朝ごはん。
マックでの朝ごはんは、長男が2歳ぐらいの頃から行っているから、
かれこれ子供達をつれて13年間通っている。この頃あまり行って
いなかったけれど、平均月一としても156回ハッシュドポテトを食べてきた
ことになります。子供達と一緒に家から出るきっかけだし、子供は楽しめるし、
ということ。でも、今朝マックにはもう朝ごはんには行くまいと思った。
あの床がべとべとしているちょっと汚めの場所で、チープなコマーシャルを
聞きながら油ギトギトの食事をせかされたような雰囲気で食べる。
子供には、長くて一日ぐらいしか遊ばないごみにするためのような迷惑な
玩具がセットで用意されている。

どう考えても人間の心身健康にも、環境にも良くない。
そこにルーティンで通い続けている自分に気が付いて、もうこんな形では
二度とマックに行くまいと思いました。今はスタバの時代。体に良くない
食べ物には変わらないかもしれないけれど、心には良い。ゆっくりと考えたり、
会話をしたりする場。仕事もできる場。

マックは1970年から1990年ぐらいまでの日本の時代に合っていたのだと思う。
モノ中心。消費、スピード、金儲けのために人が人に動かされていた時代。
今の時代は何を意味しているのか?Tom Petersによると、15年前は価格。
今は品質。将来はデザインの時代となるという。それらの要素を全て
持っているものが本物だといわれるのではないか。人間の性質からいうと、
金儲け、政治力はいつまでも残るけれど、人に対して、何かに対しての
一生懸命が生活とつながる形で報われやすい時代になってきているような
気がします。それがネット時代の現在なのかな。

本物とは何か。ブランド力と騒がれていても、結局本物を表すブランド
だけが価値がある。新しい価値の社会、ドラッカーを含む経済の預言者達が
呼ぶthe next society。今までトップを走ってきた大企業はみなこの価値の
変化についていけていない。マクドナルドも、そんな大企業のただの一例
なのでしょう。根底にある、何のための会社なのかと問われたとき、
人のためという答えでなければ、その会社に残された時間は短いに違いない。

人のために何をするのか?マックは私の家族のために何をしてくれているのか?
今朝食べたパンケーキとハッシュドポテトは確かに品質は良かった。
価格も高くはなかった。でも、それを食べる場の雰囲気は、くつろぎを
求める私たち家族が喜ぶデザインではなかった。子供を連れて行き始める
17年前から私はマックに通っているけれど、その頃からマックのインテリアの
雰囲気は変わっていない。30年間同じコンセプト!

マクドナルドにとって、危機であり、素晴らしい可能性であると思う。
私たちのような思いを持っている人達のために革新が起これば、また
私たち一家はマックで朝食をとることになるでしょう。

February 27, 2003

電話、テクノロジー、マナー

人間の社会性って何時かはテクノロジーの中でも調和できるようになるのでしょうか?

いつもながら、ミスから発生した疑問と反省のsudaストーリーなんですが・・・

サカキダさんから電話があって、仕事のスケジュール確認でした。彼はちゃんと「今話せますか?」と聞いてくれました。でも、いつもの調子で今興味があることに付いて私が話し出すと、 サカキダさんがこれまたちゃんとお返事してくれるんです。それでちょっと話してから私が「ところで今話してて大丈夫なのかな?」と聞くと実はサカキダさんの方は全然そんな状況じゃなかったんですねぇ。きゃぁ〜っ!ごめんなさい!じゃまたと大慌てで電話を切りましたが、あぁ、何度やったら私は覚えるんだ?!!と悔しい、悲しい、情けない・・・。「今話しても大丈夫?」の最初の一言をついつい忘れてしまう・・・。

そういえば、家でもそう。家族と一緒の時間に、話して面白い人から電話が掛かってくると、今話をしていた子供、夫、姑そっちのけで電話の相手と話し出す、話し込む。会社でもそう。後でかけなおせば良いのに、そこで電話を受けてしまう。

となると、そういえばメールもそうだな。人と会っていながら、平気で携帯でメールしちゃう。子供達と一緒にいながら、話もせずに、黙ってセッセとメールをさばく。 

ほとんどの電話も、メールもそこまで緊急性のあるものじゃないんだよね。ただ、来たら早急に対応するというのが美徳になっちゃってるのは確か。そんな事変なのに。大体誰かと1対1でフェイスツーフェイスで話ている最中に、いきなり他に誰か割り込んできた場合、今まで話していた相手を完全無視して、割り込んできた相手だけと話すか??さいって〜のマナーだって、誰が見てもすぐ解る。ではなぜ電話やメールであればそのマナーは許せるのか?

どこで聞いたか読んだか覚えていないけれど、電話ほど無礼なテクノロジーは無いって誰か言っていました。そうかも!!!

一緒にフィジカルな場を共用している相手を最優先にすれば、人と人との繋がりがもっとよくなるような気がします。さてとにかくそれを実践してみます。プロジェクトね。2003年3月末に報告します。