「なぜ」と言われて不快になるとき、ならないとき
Blog最初のエントリーである「なぜ?」「どうして?」と言えますか?が、見事に一つのレスポンスも得られなかったので、切り口を変えて再挑戦!
自分が「なぜ」という問いかけをされて、感心するケースとやや不快になるケースがあることに気づきました。
やや不快になることがあるのは、パーソナルなことや個人的な決断について「どうして、そうしたのか?」という問いかけをされたときです。よく、質問を含めて議論をふっかける(表現悪いですが)ことを「チャレンジする」と言いますが、パーソナルな事柄へのチャレンジは、まさに個人攻撃に近いからなのかもしれません。
よく議論が過熱すると、相手の意見ではなく相手そのものに対して対立してしまうことがあります(いわゆる「感情的になる」ケース)。このケースというのは、議論をしている人が、相手の意見と相手という「個人」を混同してしまうケースだと思うのですが、こうなるともう両者に遺恨が残ります。
「どうして?」という問いかけは、ことクリエーティブさを保つためには、非常に重要なことだと思いますが、パーソナルなことに対する「どうして?」は、少し慎重に行った方がいいのかな、と思います。
みなさんはどう思いますか?
コメント (2)
相手を不快にするかしないかというのを事前に見極めるのは難しいですよね。悪意がある場合は不快に思われても仕方がないですが、悪意なくなにげに不快にさせちゃっている時にどう対処するか。
あと、自分が不快になる問いかけをされた時にどう返すか?ということもありますね。
不快であることをさりげなく伝えるというのもありますが、一般的には心の中でむかついて、表面的にはやりすごすことが多いかも。ビジネスではそれがベターな気がしますが、プライベートでは前向きにそれを伝えたほうがいいような気がします。
ただ、私にとっては相手を慮るあまり、自分らしい発言ができなくなることが懸念です。「なぜ」って言葉は興味や好奇心の表れですから。
投稿者: yuki | September 29, 2002 7:40 PM
日時: September 29, 2002 19:40
そう。相手に対して素直に問いかけができなくなったら、それは非常に悲しいことだと思うんです。事なかれ主義っていうんですか。
結局は、「なぜ」「どうして」という、ともすれば関係を険悪にしかねない言葉を、いかに伝えられるか、というところになるのかな、とも思います。
書いていて思い出したのが、新人研修のときに「どんな記者になりたいですか?」と聞かれたことを思い出しました。ボクは即決で「人に愛される記者になりたいです」と答えて、後から何人かに「青いねー」と言われたのですが、自分の中では自分史上10本に入るいい言葉だと自画自賛しています。記者という仕事は質問するのが仕事ですから、その中で取材先といい関係を保つというのは、ある意味このエントリーで話していることそのものなのかも。
でも逆に言えば、10年前と同じことを言っているわけで、全然進歩していないという説も。
投稿者: nob seki | September 29, 2002 10:58 PM
日時: September 29, 2002 22:58