エンカレッジする米国、ディスカレッジする日本

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日本に帰ってきたら、急にビジネスプランを他人に説明するのが恥ずかしくなりました。去年、アメリカに住んでいるときは、一時帰国して日本人相手に説明するのでも、そんな気持ちはなかったのに。

なんでだろうと考えてみると、日米の独創的なアイデアに対する認識に違いがあるからではないか、と思い始めました。

日本では突拍子もないアイデアを説明すると、聞き手がバカにする(少なくても苦笑する)ような気がします。つまり、説明するのを恥ずかしく思うのは、相手がどこかで「この歳になって、まだそんなコドモみたいなことを考えているのか。バカじゃない」とボクのことを思っているんじゃないか、そんな雰囲気を感じてしまうからだと気づきました。

アメリカにいるときには、突拍子もないアイデアをどうやってビジネスとして成り立たせるのか、という真剣勝負を笑う人はいませんでした(むしろ独創的なアイデアを持っていることは「カッコいい」ことでしょう)。

「他人のやっていないことをやる」、「他人の考え付かないことを考え付く」。こうしたことを笑い飛ばすのではなく、尊敬できるマインドを日本人が持たないと、いくら「ベンチャー創生」と掛け声だけ掛けていても、うまくいかないのではないか。少なくても、今の「サラリーマン」世代から、ベンチャーを生み出すことも、育てることも、難しいような気がします。


大企業からのスピンアウト(社内ベンチャー)を考えたとき、ベンチャーを育てられない理由が、あと二つほどありそうです。
(続く)


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コメント(6)

yuki

全く同感です。
以前、Joiが「ネガティブな発言は3割増あたまよく聞こえる」という槇原さんの言葉を引用していましたが、そういうネガティブ発言が世の中にはとってもあふれています。

ビジネスプランについても、聞いている方から見れば批判するのは簡単です。「そんなにニーズはあるのかな?あんまり新しいサービスには見えないなぁ」なんていうのはご挨拶。失敗した時の「やっぱりねー。そうなると思ったよ」といった発言は「私は賢いからそんなことには手を出さずに正解」と心の中で言っているように聞こえることが多いのです。

なんか書いていてムカムカしてきたのですが、何が頭にくるかと言えば、ネガティブな発言は貴重なのですが、批判を乗り越えて何をすべきかというサジェスチョンや前向きな代替案がそこにはないからです。ネガティブで人のやる気をなえさせる「静かな悪意」しかないんです。

nob seki

大企業からのスピンアウト(社内ベンチャー)を考えたとき、ベンチャーを育てられない理由が、あと二つほどありそうです(1番目の文章の続きです)。

一つは、日本のビジネス環境は、時間の流れ方がアメリカに比べてゆっくりであること。もう一つは、ちょっと言い古された気がしますが、ハングリー精神の欠如。

ビジネスにおける時間の流れがゆっくり、というのは、帰国してすぐに感じました。アメリカにいるときには、やることが決まったら、休まずできる限り早くやらないとマズい、という危機感にも強い感覚がありました。先延ばしなんてトンデモない!、という感覚。

でも日本に帰ったら、まわりからこういった感覚を感じません。自分では「1週間でできる仕事だ」と思っても、会社は「3か月ぐらいでやっておいてくれ」。最初は前倒ししてやっていましたが、人間って弱い動物(適応力があるとも言う)で、すぐにラクな方に馴染んでしまいます。ラクだから文句を言う筋合いはないんですが、それでも漠然とした不安におそわれるようになりました。

そんなときにお会いしたのが、九州大学の谷川教授(スタンフォードの、と言った方が通りがいいみたいですが)。谷川さんはこの話をすると、ウンウンとしきりにうなずいてくれ、妙に意見があってしまいました。谷川さんにお伺いしたところ、彼は日本のリズムに馴染みそうになったらアメリカに行くことで調整するそうです。

生活のリズムが違うというのは、ベンチャーで後から入ってくる従業員のメンタリティも含めて、それなりに大きな問題だと思います。


ハングリー精神については、まぁしょうがない部分ではあると思います。日本はみんな中流で、ぜいたくさえしなければ、それなりに生きていける。例えば不況だ不況だ、と言っても、みんな急にオイシイものが食べられなくなったわけじゃない。例えば週3回食べていたのを週1回に減らすぐらいで済む。それに対してベンチャーを始めれば、(忙しさもあるでしょうが)そんなこともできなくなる。生活のレベルが大幅に下がってしまう。

しかもベンチャーの社会的ステイタスが低い。ベンチャーが「イノベーティブ(革新的)な生き方」として認められていれば、この苦しみも相殺されますが、そんなことはないわけです(これはJoiがよく言ってますね)。

遊びにいける回数が多少減っても、そしてジリ貧ということがわかっていても、なかなか起業には踏み切れませんよね。

別にみんなが起業家になればいい、というわけではないと思いますが、肌感覚で感じたこんな違いは、結構当たらずとも遠からずなんじゃないかな、と思っています。

arai

joiのblog経由できました。以前asciinetでご一緒してたかも。

私はフリーランスのエンジニアで、会社の設立手続き中です。ハングリーな起業家魂からではなく、厳しい勤め人生活には耐えられないし、自分の作りたい(新しい)ものを作りながら、ゆっくり無理をせず働きたいからです。
そのような立場からすると、勤め人は懸命に働いているように見えるし、大企業以外の勤め人には、そもそも減少するようなステータスなんてないんですよね。起業のハードルは、受注や売上の確保と、その不安定さに尽きると思います。

で、本題ですが、わたしも様々な新しいソフトウェアのプランを考え、説明したりしていますが、とくべつネガティブな反応を多く受けるということはありません。その辺り、当面は中庸であれば安泰な大企業の人達と、つねに新しい製品やサービスを開発しなければ生き残れない中小との考え方の違いなんでしょうか?

nob seki

アスキーネットとは懐かしい響きですね。少なくともボクはいました。でも、もう10年も前の話ですねー。

アスキーネット当時も、「arai」さんで通っていらっしゃいました? なにぶん、23歳を境に記憶力が衰え始め、28歳ぐらいからは、昨日聞いたことも忘れるぐらいですので…(すみません)。

arai

アスキーネットでは'SuCa'でやっていました。もう10年にもなりますかねー。

nob seki

ええええー、それはお懐かしい…。10年ですか…
僕はもう30代半ばが射程に入ってきました。